| Diminishment (衰弱) 〜(1)〜 ロスロリアンは彼らの精神状態を浮上させる光となるはずだった。 ガンダルフなきあと、もう長い間他人の運命を背負うことを極力避けて いたアラゴルンが、再びリーダーとなっていた。 決断をせまられ、彼はロスロリアンを選んだ。ガンダルフがいたらきっと 彼らをそこへ導いていただろう、と思ったからだった。 それはとても重要な意味を持つ場所に思えた。 モリアの暗闇は、仲間達の心に大きな陰を落としていた。黄金の森の 光の下でならその不吉なしみも浄化されるだろう、とアラゴルンは 願った。 ロスロリアンなら、救いを得られる。そこでなら、きっと癒される。 癒しは切実に必要だった。ある者にとっては、今すぐにでも。 星の煌きをそのまま映しとったかのような存在であるはずのレゴラスが、 まるで太陽を影が覆ってしまったように輝きを失っていると気づいた時、 何かがアラゴルンの奥深くで音を立てて弾けた。 アラゴルンは戦慄した。そんなこと許せるものか。レゴラスを失うことだけは。 アラゴルンにとって、このエルフは旅の仲間を彼に惹きつける最も魅力 的な核だった。自分の持つ理由付けが危険なほど個人的なものである と人の子は重々承知していたが、そんなことは関係なかった。 エルフを癒すために必要なことなら、アラゴルンはどんなことでもする つもりだった。深い悲しみなどのせいで、エルフを失うものか。 だから、彼は仲間達をロスロリアンに導いたのだ。 今、旅の仲間達は奥方の庇護の下で疲れきった身体を休めている。 その傍ら、この場では彼らを守る必要のなくなったアラゴルンは、威容を 誇る木々を仰ぎ見ていた。 仲間達の寝息に耳を傾ける。それは仲間達がここに到着して以来、止む ことなく歌い続けるエルフ達の感情豊かな声に静かに呼応しているかの ように安らかだった。 「我々の悲しみを歌っているのですよ」 さっき、サムの問いかけに対してレゴラスはそう答えていた。 「エルフ達にとって、我々が抱く痛みは燃え盛る炎のように感じられる のです。その眩さを和らげるために歌っているのですよ」 いつものように優しく穏やかに、静かに飄々とレゴラスは説明していた。 しかしそのエルフの言葉の意味するところは、アラゴルンの心をひどく 乱した。 もし仲間達の抱く悲しみがロスロリアンのエルフ達にとってそんなに 負担になるというのなら、その悲嘆を実際に経験したエルフにとっては 何倍もの負担になりはしまいか? 疑念はしくしくと彼を悩ませる。そんな彼の傍らで、件のエルフが静かに 立ち上がった。 「レゴラス」 アラゴルンはそう云って、肘を突いて起き上がった。 「眠れないのか?」 彼を見下ろしたエルフが、一瞬浮かんだ驚きを素早く穏やかな表情で 隠した。 「心配要りませんよ、アラゴルン。この地の奇跡が私を招いている のです。時間の許す限り、その素晴らしさをもっと見出したくって」 アラゴルンは被っていた上掛けを押し退けた。 「お前はエルフだ。ガンダルフがいなくなったことの痛みを、俺達の誰より お前が痛烈に感じているだろうことは分かっている。俺はそれを分かち 合いたい。お前の心の負担を軽くする助けがしたいのだ」 レゴラスが首をかしげ、まるで人の子の発した言葉の何かに注意を 引かれたように彼を注視した。そうしてからエルフは微笑み、珍しいものを 見るような表情を消した。 「いいえ、アラゴルン。お申し出は嬉しいですけど、その必要はありません。 一人で行かせてください。傷ついてもいないものを癒していただく必要は ありませんから」 そう云うと、青々とした草の上に足跡も残さず、彼は足早にその場を去った。 アラゴルンは再度横たわった。奇妙な失望感が胸を満たしていた。 レゴラスは俺のことを信頼していない。その考えは、アラゴルンが思って いた以上に痛みを伴った。 何故、エルフが自分を信頼していないということにそこまで拘る必要が あるというのだ?自分は、この仲間達の新しいリーダーとしてレゴラス に認めてもらいたいのだろうか? いいや、そんなことではない。何か別の、もっと曖昧なものだ。 アラゴルンは手の甲で目をこすった。こんな状態では眠れそうに無い。 腹立たしげに溜息をつくと、彼は上掛けを捲り上げて立ち上がり、レゴラス の去ったあとを追った。 ガンダルフを失ったことは、彼ら全員に何らかの痛手を負わせている。 エルフの高すぎる自尊心がそれを認めずとも、人の子は違う。 彼は注意深く歩を進めた。その一足一足が、まるで彼をレゴラスの不可侵な 領域へと誘っていると感じながら。 しかし進んでも進んでもエルフのいかな痕跡も見つからず、アラゴルン の疑念が膨れ上がった。レゴラスが見つけられたくない、と思っている としたら、どうして自分は彼を追っているのだろうか? 二種類の声が、歌い続けるエルフ達の声に混じって聞こえた。 アラゴルンは立ち止まり、声のした方向を見極めようとした。 音を立てずに木々の間を移動し、会話の内容とそれを話す人影を確認 できるくらいに近寄る。 「お前が抱く痛みを感じたぞ。深い悲しみだ、美しき同胞よ」 アラゴルンはその声が、ロスロリアンに入るときに会った警備隊長の ハルディアのものであると気づいた。 そのエルフが静かな声で続ける。 「お前は悲嘆に暮れている。俺に隠し立てはできまいぞ」 「側にいてくれる人を探しにここに来たのではないのですけど」 レゴラスは静かに答えた。 ハルディアが優しく笑った。 「お前から探す必要はあるまい、北の国の王子よ。黙っていても他の者 のほうからお前を探しに来るだろう。それだけ美しくては」 それから奇妙な、熟れきった果実を食むような優しい音がした。 それが何か理解できずにアラゴルンは身を隠している木から頭を出して 覗き込んだ。目に入った光景に、顔中が熱くなる。 ハルディアがレゴラスを抱きしめ、その唇に優しく己の唇を押し当てていた。 レゴラスの腕は力なく垂れ下がっていたが、やがて口付けが長引くにつれ 持ち上がり、おずおずともう一人のエルフの肩にかけられた。 「私が癒してやろう」 ハルディアが囁いて、レゴラスの色素の薄い長髪を撫でる。 「お前の心の負担を取り除いてやる」 まるでさっき断られた自分の申し出を真似たようなその言葉に、アラゴルン は眉をひそめた。レゴラスの諦観したような答えが聞こえ、それはさらに 深くひそめられる。「あなたにできるのなら・・・」 黙ったまま、彼は注視した。流れるように折り重なるエルフ達の、溜息の でるような美しさを。これまで、こんなに美しい光景を見たことはなかった。 二人のエルフがまるで生命をもった銀の糸のように絡まりあう。 恥も外聞も無く彼らを見続けるアラゴルンの体内で、ふつふつと炎が 燻った。今この瞬間までレゴラスの真の美しさを自分は知らなかった。 そして扱かれ愛撫される美しいエルフが身震いをして解放を迎えるのを 見ながら、アラゴルンは己が妄想の中に溺れるような恐怖を抱く。 動揺し、アラゴルンは事が終わって静かに横たわる二人のエルフの 姿を視界から外して、木の側面にずるずると寄りかかった。 「愛しいレゴラス・・・」 「うれしい」 彼らの囁く声が聞こえてきて、アラゴルンはぎゅっと目をつぶりたくなった。 レゴラスが抱く痛みは、”彼”の責任なのに。 代わりに、彼は強いて目を見開いて頭上の木々の葉と枝を凝視しながら 彼らの息遣いを聞いた。 「助けて・・・」 レゴラスがとぎれがちに囁く。 その言葉にはとてつもなく深い嘆きがこめられていて、アラゴルンはわが耳を 引きちぎりたくなる。 ”傷ついてもいないものを癒していただく必要はありませんから” それは今まで彼が聞いた中で、一番残酷な嘘だった。 ![]() 大河は彼らの下を黄金の鱗の蛇のように緩やかに流れ下っていた。 ロスロリアンの光を振り返らなくなるほど遠く離れて久しい。 アラゴルンはしっかりとした手つきでボートを漕いでいた。 エルフ達のいた岸辺から、そしてそこで見てしまったことから、一刻も 早く遠ざかりたかった。 まるで、この世にかかる虹にもう一つの色調が加えられたかのような 気持ち。すべてが変質し、もう元に戻ることはないかのような。 「考えに沈んでますね」 フロドが静かに云った。 ロスロリアンでの休息以来、このホビットは変わった。 その大きな蒼い瞳に宿っていた無垢な光は消え、代わりに見える 諦観の色はアラゴルンを落ち着かなくさせる。 「何を考えてるのか、教えてくれませんか」 アラゴルンは櫂で水面をかくことに集中しようと努めた。 側を行くボートの、陽光を受けて輝くレゴラスの姿にではなく。 「何でもない、勇敢なホビットよ。我々皆が等しく持つ心配事だ。 それは他でもない、”お前”が一番心配していることだろうが」 フロドが身体を捻って、異様なほど感情の欠落した顔で後ろに座る アラゴルンを見た。 「僕の背負う重荷はあなたのと同じだけあるし、それは僕のものでも あるんです。指輪を守ることにあなたは命をかけると誓った。こんな ことにならなければよかったのに。みんな、誰一人として、誘惑に抗い ながらここにいなければならない義務なんてないんです」 アラゴルンの手元がたじろいだ。 「誘惑」 注意深く繰り返す。 フロドが首にかかる鎖の先にあるものをシャツの上から握り締めた。 「指輪は僕らみんなに囁きかけてる。僕らの心が望むものを」 蒼い瞳から焦点が消え、表情がほんの少し歪んだ。 「あなたには聞こえませんか、ストライダー?」 その通りだった。ロスロリアンを出て以来、目を閉じればそれは聞こえて くる。 心の奥にある、本当の望み。自分の身体の下に広がる淡い金の髪、 自分には返すことの出来ない愛情を込めて、彼を見上げる蒼い瞳。 そう、それははっきりすぎるほどに聞こえていた。 「そんな誘惑の呼び声なぞに、誰も屈服させるものか」 前にある細い肩にそっと手を置いて、ホビットにそう保障する。 「このことは心配するな。この重荷を背負うのは俺一人でいい」 フロドの表情は、アラゴルンの言葉をあまり信じていないかの ようだった。そんな信頼の欠如は予期せぬことで、人の子の心に 重く圧し掛かる。 「見ろ!」 ギムリが振り返って叫んだ。 巨大なアルゴナスの石像が彼らの行く手にそそり立っていた。 己が模範とすべき存在を見上げながら、アラゴルンは喉につかえるものを 感じる。どっしりと、力強く彫りこまれたその姿を賞賛の眼で眺めながらも、 英雄的な雄々しさや、偉大さなどはついぞ感じない。 アラゴルンの左で水音がして、レゴラスの乗るボートが近寄ってきた。 慎重に、アラゴルンは聡明なエルフに視線を合わせる。 「この偉大なる人間の血統が、あなたの中に流れているのですね」 レゴラスが彼に云った。 「信じないかもしれないけど、私はあなたの存在に感謝していますよ。 ご先祖の偉業にふさわしく、あなたはきっと私たちを賢明な判断で 導いてくれるでしょう」 「何故そのような確信が持てる?」 アラゴルンは答え、己の意志をかき集めてエルフの眼差しに視線を あわせた。 「俺達が失敗すれば、この世界はサウロンの手に墜ちるのだぞ。そこまで 重い責任、俺達には持てぬ。俺にだって持てぬ」 理解の色がエルフの表情によぎった。仲間達の中で、レゴラスだけが アラゴルンの思うところを理解できる。 「あなたは私たちに失敗させやしませんよ、アラゴルン。それにあなた の恐れに反して、私たちは失敗しやしません。この旅は成功に終わり、 世界はきっと正しい姿に戻ります」 しかし、そのエルフの言葉じりにわずかなためらいが含まれているのを アラゴルンは聞き取った。 レゴラスは恐れている。 ガンダルフの喪失は誰も気づかないところで、しかしエルフの言動に 慣れ親しんでいるアラゴルンにだけは分かるところで、彼を深く傷つけて いる。 エルフは深い悲しみによって死んでしまうという。 そうなってしまう迄に、一体どれだけかかるのだろう、と人の子は考えた。 その淵にレゴラスが追いやられるまでに、一体どのくらい−− レゴラスの為に、彼は頷き、ありもしない勇敢さを装おうと努めた。 先ほどのエルフの言葉を心に留め置き、そこから勇気を引き出そうとする。 ”私たちは失敗しやしません。この旅は成功に終わります・・・” しかしその言葉はのちに、彼らを苦しめることになる。 その時からいくらも経たないうちに旅の仲間が離散し、ボロミアが地に倒れ 伏して絶命することなど、アラゴルンは知る芳もなかった。 レゴラスを見上げ、ボロミアの亡骸に据えられたその視線が目に入ったとき、 自分が息を飲むことなど。 エルフの瞳に残っていた最後の煌きまでもが、アラゴルンが到底和らげる ことのできない極限の悲しみによって消え失せてしまうことなど。 ![]() 〜(2)〜 「あなたに我々全員を守ることはできませんよ」 レゴラスはかつてそう云った。 「結局、我らは自分に降りかかる運命に対してそれぞれに責任が あるのですから」 それは、ボロミアの遺骸を乗せたボートがラウロスの滝に吸い込まれて いくのを眺めていた時に発せられた、慰めの言葉だった。 アラゴルンの肩に圧し掛かる旅の仲間に対する重荷がいかなもので あるか、レゴラスは良く知っていたから。彼の瞳を見据えながらエルフ は云った。 「いずれ、私達の誰もが必ず死を迎えます。それはあなたの責任では ない。ひとの運命は他の誰に委ねられるものでもなく、自分自身の ものなのですから」 だが、レゴラスは間違っていた。エルフの蒼い瞳が悲しみと苦痛によって 光を失うのを認めたその瞬間、アラゴルンは今まで己の人生において真実 かつ重要であると思っていたことがもはやそうではなくなったことを悟ったのだ。 自分の手の中にあるものを、息絶える瞬間まで傷つかぬよう守り通さなけれ ばならないことを。 極度の明敏さで、エルフがアラゴルンの表情を即座に読み取った。 「その道を選ぶことは、あなたの想像以上の結果を招きます」 彼は静かにそう警告した。 「この道の先で我らを待つのは、事の成就であるのと同じくらい、 悲嘆であるかもしれないのに」 彼がレゴラスを守りたいと感じていることを、レゴラスが理解しつつも即座に 拒否しなかった、ということは、アラゴルンの決心が真実であるということの 証明になった。 「ならば、なるようになればいい」 彼は答えた。 「俺は永い間闇の中を歩いてきて、もう暗闇をも見ることができるのだ、 レゴラス。その時がくれば、向き合わねばならんことにだって正面から 向き合うさ」 その時が今、訪れた。 激しい雨のように矢が降り注ぐ峡谷の砦の城壁に立ちながら、アラゴルンは 再び己の無力さを感じていた。 容赦なく打ち鳴らされるオーク達の太鼓の音に共鳴するのは、破滅へと向かう 己が運命。何千もの命が、死の危険に晒されていた。ひょっとしたら、百万を 超える命が。 まるで卑劣な魔法によって故意に顔めがけて降り注いでくるような豪雨の 中で目をしばたきながら、アラゴルンは心をかき乱す原因の行方を 探した。 いつものように、レゴラスは戦いの中心にいた。 ぐっしょりと雨に濡れ、泥と汗に塗れることもお構いなしのその美しい顔。 レゴラスは暗闇の中にさす、一条の光だった。 エルフを心配する余り胸が締め付けられるのと同じくらいに、レゴラスの 姿はそれを見る人の子の精神を昂揚させる。 しかし、そのような安心感は、この悲惨な戦いの場所では長くは続かなかった。死体 に湧く蛆虫のごとく、サウロンの手によって創り出された歪んだ生き物達 はその数を圧倒しようとしていた。 アラゴルンの中で恐怖が膨れ上がる。こんな数の奴らが相手では、レゴラスは ついには倒れてしまうのではないか。 考えるより先に、彼は立っていた壁の上から飛び降りた。 黒い軍団が砦を打ち破り、今や内部に入り込もうとしている。ローハンの 兵士達が弓矢を避けながら血に濡れた剣を振り上げて突進する。 彼らは人の子の仲間であり、彼に忠誠を誓う者達だったが、アラゴルンは 彼らに一瞥もくれなかった。 狂ったように、レゴラスの側に行こうとあがく。累々たる死体の山を築き ながら血なまぐさい道を切り開き、ようやく濡れそぼった白金の髪が視界に ちらりと突き刺さる。 と、突然上がった、苦痛と怒りに溢れた身を切るような咆哮に、アラゴルンの うなじが総毛だった。 前に押し進み、その声がレゴラスのものであると知る。 そして彼の愛したエルフを見たとき、彼の知る美という美がすべて過去のものと なり失せた。 汚わらしい血に黒ずんだレゴラスはもはや、光ではなかった。 彼の持つ、青白く輝く刃は、今や闇の色に染まっていた。 エルフがのた打ち回る敵の身体を薙ぎ払い、突き刺すのを見ながら、 アラゴルンの中で苦痛が膨れ上がる。敵を倒すたびに、レゴラスは 締め付けられるような、動物のような咽び声をあげていた。 「レゴラス!」 アラゴルンが叫んだ。これは自分の良く知る友人であると、彼が密かに 心寄せる存在であると、自分に言い聞かせながら。 今や、死の使いと成り果てている相手に。 蒼い双眸が、雨の向こうから彼を見た。 そのエルフの瞳に宿る絶望と恐怖に、アラゴルンは足元の大地が奈落の 底に崩れ落ちるのを感じた。 命を落さぬように防戦する必要さえなければ、人の子はその場に屈み込んで 嘔吐していたに違いなかった。 ![]() 角笛城は未だ人間達の手中にあった。 哀れなサウロンの軍勢は、不可思議な森の闇に飲み込まれていったのだった。 戦いは終わったのだ。 アラゴルンの身体中についた無数の傷がずきずきと痛んだ。酷使しすぎた 筋肉が引き攣れて足元が怯む。 しかしその痛みも、心にぱっくりと開いた傷口に比べれば些細なものだった。 さんざん訊ね回ったのち、彼は峡谷の方向へ足を向けた。 谷を流れる川のほうへと。 幽かな月明かりの下で、レゴラスは立っていた。膝まで流れにつかり、ごしごしと、 まるで骨のずいまで削ぎ落とそうとするかのごとくに身体を擦っている。 レゴラスは一糸纏わぬ姿だったが、その光景を賞賛するほどの余裕は、 エルフの自暴自棄な様子に釘付けになっていたアラゴルンにはなかった。 奇妙な啼き声がエルフの唇から漏れる。 その響きに、アラゴルンは胸が悪くなった。 かつて野伏だった男は、驚いて飛び上がるレゴラスになどお構いなしに ずんずんと流れの中に入っていった。 そして正面から見据えた今、アラゴルンは戦い以上の何かが彼の友人を穢した のだと知る。かつて穏やかだったその容貌に、悲嘆が刻み込まれていた。 「アラゴルン」 レゴラスは囁くような声で云って、小刻みに震える己が腕を抱き締めた。 「近寄らないで。私は汚れています」 「二度と俺にそんなことを云うな」 アラゴルンが唸る。 これまでレゴラスに対して手荒な扱いをしたことなぞ一度もなかったが、 この日の夜に起こったこと全てに対する彼の怒りは、エルフの腕を掴む 彼の指を自然と乱暴なものにした。 胸に倒れ込んでさっと紅潮するレゴラスの、乳白色の肌が、擦られた せいで赤くざらついているのをアラゴルンは見てとる。 視線を避けようと泳ぐレゴラスの瞳は、まるで彼の顔に穿たれた深紅の 傷のようでもあり。 アラゴルンの魂の底から、激しい拒絶の悲鳴がせり上がり、喉の ところで突き刺さって止まった。 その苦悶の声を上げる代わりに、アラゴルンはレゴラスに口付けた。 唇は驚く相手のそれを包み込み、枯れ果ててしまった力を注ぎ込もうと 求めた。 レゴラスがうめきを上げ、彼の肩を押し戻そうとする。まるで触れられる ことを恥じるかのように。 しかしアラゴルンは彼が汚れているなどと思うわけがなかった。 「お前が、暁の空の星のように次第に輝きを失ってゆくのを俺は見ていた」 白い喉元のカーブに沿ってキスを落としながら、アラゴルンが激しく息を ついた。 「仲間が失われてゆく度に、お前は分かち合っていた以上の悲しみや苦痛を 本当は抱いていたろう」 薔薇色の胸の突起の辺りを歯でそっと噛む。細い指が彼の髪を握り締めて 引き剥がそうとするのを無視する。 「もうこれ以上失うものか。お前だけは行かせやしない、レゴラス。 ”お前だけは”」 硬直し小刻みに震える身体の上を、目の前に露わになった愛する者の 肌の上を、唇と舌とでなぞってゆく。 レゴラスはもはや、抗おうとはしなかった。 人の子が流れの中に跪いてレゴラスの中心を口にくわえ込むと、エルフは アラゴルンの頭を堪らずかき抱いた。 レゴラスが叫び声を上げた。さっき上げていた声音とは違う。 それは、降伏の、欲望の叫びだった。 アラゴルンが彼をさらに深く飲み込むと、未だ越えたことのない海を思わせる 太古の潮の味がした。唇の間で、硬くなった肉を吸い、舐めしゃぶる。 そして彼の指が、愛撫を施しながら象牙彫刻のような脚の間の感じやすい 肌を優しく撫でた。 「何をするのです」レゴラスが喘いだ。 「アラゴルン、なぜ、こんなことを?」 アラゴルンは自分の意図を言葉にすることができなかった。 彼に分かっていたのは自分がただレゴラスを救いたかった、ということ だけで、こうするより他に方法を知らなかったのだ。 エルフはもう十分すぎるほどに恐ろしい、残酷な目に遭っている。 多分この方法なら、アラゴルンは彼にもう一度この世の美しさを見せて やれる、と思ったから。 飢えたように、彼はエルフを口内奥深くに導きいれた。 それに対してレゴラスが小刻みに揺れ、頂点を迎えようとするに従って 白い脚が水の中で震えた。 その行為を続けながら、アラゴルンは手を伸ばして産毛の生えた乳首を 抓む。レゴラスが喘ぎ、全身を震わせる。 そして、星の煌きのような精がアラゴルンの口中に注ぎ込まれた。 乾ききった大地で飲む最後の水の杯であるかのように、アラゴルンは それを飲み干した。 レゴラスを舐めとって綺麗にしてから、立ち上がったとき。 白く、細い腕が彼を絡め取った。 レゴラスがまるで一度に身体中に口付けしようとするようにキスを降らせて きた。あたかも、アラゴルンが彼を置いて行くのを恐れるかのように。 あたかも、これが夢であり、醒めてしまうのを恐れるかのように。 「なぜ、こんなことを?」 レゴラスが喘ぎながら訊ねる。秀麗な顔は困惑に歪んでいた。人の子の 尖った顎に触れる。 「私には理解できない」 アラゴルンがエルフの美しい顔を両手で包み、じっと覗き込んだ。 「帰るべき場所を全て打ち壊してまで、戦いに勝つことに何の意味がある?」 瞬間、蒼い双眸に理解の色が灯るのを彼は見た。 夜の闇は深かったけれど、レゴラスの眼差しには未だ影がさしていた けれど、それでもその瞳にはこの数ヶ月の間に勝る幽かな星の煌きが 瞬いていた。 「私を愛しているのですね」 レゴラスが囁いた。 畏怖の念がその煌きをさらに少し明るくする。 「そうだ」 アラゴルンが答える。 頭を屈め、今度は優しくエルフに口付けた。 彼はレゴラスを愛していた。 もしアラゴルンがこの戦いで死ぬのなら、それは彼が真実という名の驕り に対して代償を支払うということだった。 それは、彼がアルウェンとの間で分かち合っていたものがもはや愛という 性質のものではなくなったと認めるということでもあり。 そしてそれは、何が起ころうと、たとえ未来の彼の王国や未来の幸せを 失おうとも、もう二度とレゴラスを闇に触れさせまいという彼の決意の 表れだった。 The End |
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